いよいよ上弦の壱”黒死牟”戦は終わりを迎えようとしています。長かった。
勝敗を決めたのは玄弥が打った銃弾でしたね。
玄弥は強い鬼を食べると一時的にパワーアップする能力を持っています。
彼はその能力を使い、黒死牟の髪の毛と折れた刀を先を食べることで銃弾に植物のような性能を持たせて強化させました。
それにより黒死牟は動けなくなり、鬼殺隊の隊士によって狩られる寸前の状態に追い込まれてしまいました。
死を悟った黒死牟が見たのは、過去の記憶。
400年前の弟との思い出でした。
これまで他のキャラと比べても圧倒的な実力を持っていた黒死牟ですが、今回の描写により実は誰よりも深い嫉妬心を持つ「人間らしい」キャラクターであることが判明します。
本作での鬼は人間の弱さから生まれる生き物。
その弱さというのは戦闘力であったり、心の弱さだったり、人によりますが、人間は己が弱いと自覚するからこそその弱さを埋めるために鬼になります。
今回黒死牟が鬼になった理由、つまりは人間としての弱さが発覚したことにより、最強の鬼の人間らしい一面が垣間見れてました。
黒死牟も人間らしい心を持っていたことがわかり、なんだか彼のことがほっとけない人間だなと思えるようになりますね。
目次
明かされる黒死牟の過去
- 黒死牟には縁壱という自分より実力のある弟がいた
- 彼は弟に嫉妬しており、それゆえに鬼になったと思われる
- その弟と再会する
- 60年ぶりに合わせ負けそうになるものの、弟が戦闘中に寿命が尽きて死んでしまう
黒死牟の過去についてまとめるとこんな感じですね。
ざっくり言うと自分よりも優れた能力を持つ弟がいて、彼の才能に嫉妬していたと言う感じでしょう。
その気持ち、すごく分かります。
スポーツでも勉強でもなんでも自分よりも優れた能力を持っていた人がいるのであれば誰でもその人のことを妬ましいと思ってしまうはずです。
逆に他の人に対して嫉妬とか殺意とか、ネガティブな感情を抱いたことのない人間は、何かに対して真剣に取り組んだことのないのでしょう。
こんな風に書くと「俺だって頑張ってるわ!」とか思われてしまいそうですが、おそらくそういう人って努力が足りていないのかなと思います。
こんな私の人生論は置いておいて、話題を黒死牟の過去や人物像に戻していこうと思います。
個人的には人間が鬼になるということは悪いことではないと考えております。
もちろん本作の読者の中には風柱のように「鬼は全て悪者!悪鬼殲滅!」という意見を持っている方もいるはずです。
よく考えてみてください。
鬼になった人間は上弦の参”猗窩座”や上弦の陸の堕姫・妓夫太郎ように「大切な人を守るために力が何よりも欲しい」と考えた人間もいた訳です。
(もちろん上弦の肆”半天狗”のように、自分のエゴを通すためという理由の人間もいますが。)
自分では到底叶えられないような願いを叶えるためにあらゆる手段を尽くすのは決して悪いことではありません。
むしろ自分のできる事をやらないで後悔する方が悲惨です。
そういう意味では、魂を売る代わりに力をくれる鬼舞辻無惨を頼るのは悪いことではありません。
では本作では誰がいちばんの悪者なのか。それは鬼舞辻無惨でしょう。
彼は非力な人間では叶えられないような願いを叶えると装い、人間を鬼にして力を与えたものの、鬼にした人間を捨て駒のように扱います。
中には大切な人と一緒にいたいと願い鬼になったのに、その大切な人を殺してしまったということになった人間も存在しています。
鬼舞辻無惨は人間のちょっとした幸せを叶えると装い、尊厳や自由、自分の命よりも大切な人など、人間が人間らしく生きるのに必要なものを全て奪ってしまいます。
鬼になった人間は悪くありません。一番の悪党は鬼を生み出す鬼舞辻無惨なのです。
黒死牟は「弟よりも劣っている兄」というレッテルを剥がすべく鬼になりました。
自分の目的のためならなんだってする精神は悪いものではなく、誇らしいものです。
黒死牟ただ己の命を預ける相手が悪かったのだと考えした。
鬼舞辻無惨が全て悪い
黒死牟の弟・縁壱について
今回の黒死牟の回想から以下のことが読み取れました。
- 当時の鬼狩で一番の実力を持っていた
- 黒死牟はそんな弟に嫉妬していた
- 痣が発現したのにも関わらず、80歳近くまで生きていた
当時の鬼狩で最高クラスの実力を持っていた
縁壱の実力は当時の鬼狩の中では圧倒的だったようです。
あの方をも 追い詰めた剣技
それは
神の御技に他ならない
それは鬼舞辻無惨の実力にも匹敵するレベルであり、縁壱は彼を倒す寸前まで追い詰めたことが読み取れます。
おそらく縁壱こそが炭治郎の夢の中に登場した「ヒノカミ神楽の剣士」なのでしょう。
炭治郎の夢の中に時折登場する人物。
上弦の陸の堕姫・妓夫太郎と戦った遊郭編終了後など、炭治郎が戦闘後にぶっ倒れた時に夢の中にたびたび登場しました。
出番があまりないので、その正体はあまり明かされておらず多くの謎が存在しています。
痣を持っているのに60年以上生きている
過去に黒死牟は痣を発現させた岩柱・悲鳴さんに対して痣を発現させた剣士は25歳までに死ぬと発言していました。
しかし縁壱は悲鳴さんと同様に痣を発現させたのにも関わらず、80年以上生きています。
老人となった縁壱を見た黒死牟はとても驚いていたことから、縁壱だけが特別に生き延びたと推測できますね。
ということは実力のある人間は例外に、痣を発現させても25歳を超えて生存できるということでしょうか?
個人的に気になるのは、縁壱や悲鳴さんのような痣持ちかつ25歳以上の人間が鬼になった場合どうなるのかです。
鬼舞辻無惨の目的は日光を浴びても生存できるようになること
そのために「青い彼岸花」というものを探すか、陽の光を浴びても死なない鬼を生み出すことを目的としています。
そのため鬼舞辻無惨は陽の光を浴びても死なない鬼を生み出すために、特異体質の人間を優先的に鬼にしていました。
おそらく禰豆子を鬼にするためにわざわざ竈門家にやって来たのも、竈門家の人間が縁壱の関係者であることを知っていたからだと思います。
痣を出しても長い間生き延びた縁壱は、鬼舞辻無惨が狙っていた特異体質の人間だといっても過言ではありません。
そんな縁壱や悲鳴さんのような、25を超えて痣を出した人間が鬼になったらどうなるのでしょうか?
個人的に気になる点であります。
縁壱の持っていた刀こそが炭治郎の持つ『鬼滅の刃』なのでは?
縁壱が今回所持していた日輪刀。
その刀身は黒に染まっていた上に、「滅」の文字も刻まれていました。
これは刀鍛冶の里編にて炭治郎が入手した日輪刀と一致しております。
なぜ縁壱零式の中に縁壱の日輪刀が入っていたのか?
刀鍛冶の里ではとある剣士を題材にした戦闘用訓練用のからくり人形・縁壱零式が登場しました。
その名前からおそらく縁壱零式は、黒死牟の弟である縁壱をモデルにしていると思われます。
ここで疑問。なぜからくり人形である縁壱零式の中から縁壱の日輪刀が出てくるのでしょうか?
縁壱は黒死牟との戦闘中に寿命を迎えて死んでしまいました。なので彼が直接からくり人形を作れる人間に刀を預ける機会はなかったはずです。
なぜ炭治郎の持っている耳飾りをしていないのだろう?
炭治郎の持つ耳飾りは彼の家に代々伝わるものであり、それはヒノカミ神楽を使う剣士の証でした
それを見た煉獄さんの親父は炭治郎のことを「日の呼吸(=ヒノカミ神楽)」の剣士だと勘違いしていました。
鬼舞辻無惨もその耳飾りを目印にさせて、部下の鬼たちに対して炭治郎を倒すように命令していました。
ここで気になったのは、縁壱が炭治郎と同じ耳飾りをしていなかった点です。
最期に黒死牟の眼の前に現れた時はもちろん、若い頃の姿を映したシーンでも耳飾りをしていませんでした。
縁壱がヒノカミ神楽の剣士の証である耳飾りをしていないのは謎である。
もしかしたら縁壱はヒノカミ神楽の剣士じゃない可能性もあるのでしょうか?
- 黒死牟の弟・縁壱は最強クラスの剣士
- おそらく炭治郎の夢に出てきたヒノカミ神楽の剣士
- 痣を発現したのにも関わらず80年以上生きている
- 縁壱零式の中に彼の日輪刀が入っていた理由は不明
- なぜ縁壱は耳飾りをしていなかったのだろうか?
黒死牟の過去篇はどのような結末を迎えるのか
黒死牟は本作の中でも特異的なキャラクターであります。
- 剣士でありながら鬼でもある
- 子孫である時透無一郎と同様に双子
- ヒノカミ神楽の剣士の関係者
一時期はヒノカミ神楽の剣士だと思われていたので、炭治郎と戦うことになると考えていました。
しかしヒノカミ神楽の剣士は、彼の弟である縁壱である可能性が高いので、黒死牟と炭治郎の関係性は薄く2人は出会うような展開にはならないかと思います。
本作のテーマの一つとして「家族愛」が挙げられます。
炭治郎と禰豆子の関係や、上弦の陸の堕姫・妓夫太郎との戦いなどを通して、家族の愛情というのが深く表現されていました。
そのことを踏まえると、黒死牟の過去篇にも家族愛を思わせるようなシーンが出てくるかと。
弟に嫉妬していた黒死牟に対して、縁壱は兄を大切に思っていたからこそ鬼になった黒死牟を哀れんだように見えます。
うーん。
2人の過去が完全に明かされていない今では、推測でしか関係性を語れないのがもどかしいです。
黒死牟と縁壱の間にはどのような溝があったのか、それは次回明かされるでしょう。
最後に
- 上弦の壱”黒死牟”は倒されるのか?
- 黒死牟の弟・縁壱は鬼舞辻無惨を追い詰めるほどの剣士だった
- 黒死牟は優秀な弟に嫉妬していた